小城久次郎・水原秋桜子
染付 俳句 湯呑 共箱
サイズ:高7.6cm
\40.000





俳人・水原秋桜子の句です。
うぐいすや 華厳巌壁を のぼる雲
読みが違っているかもしれません。
湯呑は富本憲吉の助手をしていた、小城久次郎の作です。
おそらく鎌倉にあった小城久次郎の窯に出かけ、句を書かれたのでしょうか。
箱の表書きは秋桜子、蓋の裏には久次郎のサインと印があります。
水原秋桜子(みずはら しゅうおうし)
明治25年(1892年)10月9日 - 昭和56年(1981年)7月17日)
俳人、医学博士。本名・豊(ゆたか)。
経歴
東京市神田区猿楽町(現・東京都千代田区神田猿楽町)に代々産婦人科医を営む家庭に生まれる。
大正7年(1918年)東京帝国大学医学部卒業。
在学中に高浜虚子に影響を受け彼に師事し俳句を学ぶ。
昭和初期には山口誓子、阿波野青畝、高野素十とともに虚子の主宰する『ホトトギス』の4Sと並び称されるまでになった。
やがて虚子とその支持者である素十と作風を巡って対立し、ついにはホトトギスを離脱・独立し、昭和9年(1934年)俳誌『馬酔木(あしび)』を主宰した。
ホトトギスから孤立した格好にはなったものの、その沈滞したムードを倦厭した五十崎古郷と門弟の石田波郷や若手の俳人達が集い、更に加藤楸邨、中村草田男なども加わりやがてホトトギスと対抗する勢力となった。
昭和37年(1962年)俳人協会会長に就任。昭和42年(1967年)には勲三等瑞宝章を叙勲している。
晩年の秋桜子はプロ野球を熱心に観戦するようになり、ナイターを詠んだ句も多く残している。
昭和56年7月17日、急性心不全のため逝去。享年88。墓は東京都豊島区の都営染井霊園にある。
産婦人科医として、多くの皇族を取り上げている。
代表的句集
『葛飾』(馬酔木発行所、昭和5年(1930年)4月)
『霜林〔そうりん〕』(目黒書店、昭和25年(1950年)12月)
『残鐘〔ざんしょう〕』(竹頭社、昭和27年(1952年)12月)
など
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